2007年08月30日
ヒット裏話「千の風になって」
06年大晦日のNHK『紅白歌合戦』における秋川雅史の朗々とした歌声とともに一躍社会現象にまでなり、今や国民的愛唱歌になりつつある「千の風になって」。8月にミリオンセラーを達成し、“千の風”ならぬ、大ブームの“風”が日本全国に吹き渡っている。そんな“千の風”現象はどのようにして巻き起こったのか? ブームの一端を担う関係者の証言をもとに検証してみた。
売上げ推移表付きの詳細記事 ※グラフは中段に掲載
「初めて聴かせていただいた時、すごくいい曲だと思いました。それで、この曲は大ヒットにできるかはわからないけど、絶対スタンダードになりますよと、新井さんに言ったんです」
こう語るのは、「千の風になって」の楽曲管理を行っているフジパシフィック音楽出版の朝妻一郎会長。朝妻氏はこれまでにも幾多の名曲と出会ってきたが、同曲のファーストインプレッションは格別だったようだ。
そもそも同曲の大ヒットの端緒となったのは、朝妻氏がほんの数枚だけプレスされた私家版のCD「千の風になって」のエピソードを記した朝日新聞の『天声人語』を読み、訳詞者であり作曲者の新井満に「ぜひ曲を聴かせてください」と声をかけたところから始まった。
「新井さんがお友だちのために作ったということでしたが、曲も詞もすばらしくて、ピンときたんです」
スタンダードナンバーを作り出すことこそ音楽出版社の使命だと考えている朝妻氏は、絶対に同社が持っているべき曲だと直感し、「スタンダードになるために必要なことを全部やっていこう」とこの時考えたという。
まず、テレビの報道番組やドキュメンタリーなどへの露出を考えた朝妻氏は、フジテレビやポニーキャニオンなどフジサンケイグループ各社に楽曲を持ち込む。最初に食指を動かしたのはニッポン放送で、特番を組んだ。
03年11月に新井満のシングル「千の風になって a thousand winds」が発売。その後、04年には映画『千の風になって〜天国への手紙』が製作されたり、新垣勉をはじめとする競作も出現しはじめる。06年5月には、今回の大ヒットの主役である秋川雅史のシングル「千の風になって」が登場。発端は秋川のファンからのリクエストだったという。
その頃から “千の風現象”が、朝のワイドショーなどで取り上げられ、反響が出始める。そして06年大晦日の『紅白歌合戦』で、木村拓哉の朗読とともに秋川の熱唱する姿が全国のお茶の間に届けられ、一気にブレイクしたのだ。
新井満のCDリリースから3年と9か月の歳月を経て、「千の風になって」は音楽業界にとっての鉱脈になると同時に、歌を愛するユーザーにとっては誰もが愛唱できる新しいスタンダード曲を獲得したといえる。
「こんなすばらしい曲に出会えて感謝しています。あと望むなら、秋川さんがもう一回、今年の紅白で歌っていただけるとうれしいですね。ヒットし続けている“現役”の楽曲を2年続けて歌ったというケースは今までないので、それが達成された時に「千の風になって」が本当にスタンダードになったと実感できるかもしれません」(朝妻氏)
(2007.8.30/オリコン)


