2008年12月08日
消えたPC-98、Mac互換機――「互換機ビジネス」の末路を追う
最近、あまり聞かなくなった言葉に「互換機」がある。コンピュータ業界は、互換機によって発展してきたといっても過言ではないほど、昔から互換機ビジネスが盛んだ。現在は、あらゆる仕様に業界標準が策定され、無駄な開発競争をなくし、ユーザーの投資を保護することが当たり前になっている。しかし、かつては業界の覇者を狙った独自色の強い開発競争が繰り広げられてきた。互換機の製造・販売は、そういう隙間から発生したビジネスだった。
そもそも互換機ビジネスが生まれたのは、メインフレームからだった。1960年代にメインフレーム市場に参入したIBMは、初の汎用コンピュータ「System/360」のアーキテクチャの一部を公開した。これは、System/360向けの周辺機器メーカーを育てる意味があり、そのとおりIBMは1960年代後半以降、現在に至るまでメインフレーム市場の覇者となった。IBMと競合する独自のメインフレームを開発してきたベンダーは続々と撤退に追い込まれていったが、その中で生き残ってきたのが、IBM互換機のメインフレームを開発してきたベンダーだ。
日本のコンピュータベンダーも、通産省(現・経産省)の主導によってグループに分けられ、IBM対抗機の開発に取り組んだが、現在でもメインフレームビジネスを続けているのは、IBM互換機路線に転じた日立や富士通などの数社だけになってしまった。
●出発点が互換機だった今のPC
メインフレームと同様、PCのビジネスもIBM互換機から始まった。IBMは、1981年に「IBM Personal Computer 5150」というインテルのプロセッサを採用した16ビットPCを発売した。その後、アーキテクチャを改善した「5160」「5170」というPCを投入するが、いずれも仕様を公開した。アーキテクチャをオープンにするというこの措置は、他社が周辺機器や互換ソフトウェアを製造できるようにすることを目的としたもので、メインフレームの施策を手本にしたものだった。
そのIBM PCの互換機を製造・販売する企業として1982年に設立されたのが、コンパック(買収により、現・HP)だった。コンパック(Compaq)は、「Compatibility and Quality」の略であり、互換機ビジネスを展開するベンダーであることを社名で宣言していた。その後、IBM PC互換機の主流は、5170互換が主力となり、5170の正式名称「Personal Computer for Advanced Technologies 5170」の頭文字をとって「PC/AT」、さらにその互換機という意味で「PC/AT互換機」という言葉が生まれた。1980年代半ばから後半にかけては、PC/AT互換機の専業ベンダーが続々と創業したほか、ヒューレット・パッカード(HP)やディジタル・イクイップメント(DEC)といった当時の大手コンピュータベンダーも、PC/AT互換機を製造。すでに1980年代において、日本を除く全世界ではPC/AT互換機が標準になっていた。
一方、日本では、コンピュータベンダー各社が独自のアーキテクチャに基づくPCを製造・販売していた。PC/AT互換機を製造する海外メーカーの日本進出を阻んできたのは、日本語という壁だった。言語の壁を打破したのが、1990年にIBMが発売したソフトウェア処理で日本語を表示する「DOS/V」だった。これ以降、日本ではPC/AT互換機よりも、「DOS/Vパソコン」という呼び方が定着し、雑誌の誌名にもなるなど定着した。
PC/AT互換機は、インテルのプロセッサを採用して過去の互換性を維持しながら発展をし続け、現在はどのメーカーのPCでも同じOS、同じソフトウェアが動くようになった。ベースとなったアーキテクチャを作ったIBMはすでにPC事業から撤退するなど、すでにPCは業界標準仕様の下で一人歩きしている。
●消えた独自アーキテクチャ互換機
前述したように、日本には日本語という壁があり、PC/AT互換機の侵入を長年阻んできた。もちろん、中国や韓国など日本以外に多文字を扱う言語はあるが、それらの国におけるPC市場規模は、現地語の仕組みを開発するまでもないほど小さいものだった。また、米国と日本、それに欧州の一部を除けば、コンピュータを独自開発する能力を持ったベンダーはその当時、皆無。むしろ、安価な労働力によってPC/AT互換機の製造工場になっていった。
ところが日本には、独自アーキテクチャのコンピュータを開発できるベンダーがたくさんある。しかも、どのベンダーもコンピュータの黎明期から日本語表示機能の拡充に取り組んでいる。こういう特殊な市場に、PC/AT互換機ベンダーが簡単に参入できるわけがなかったのだ。
日本では、IBM PCに比べて勝るとも劣らない機能・性能を備えたPCが1980年代前半には出そろっていた。中でも、NECが開発した「PC-98」は、日本のPC市場シェアの過半数を獲得していた。そのため、ソフトウェア資産も群を抜いて多かった。そうしたPC-98の市場を狙い、互換機ビジネスも登場した。
エプソンが1987年に発売した「EPSON PC」は、PC-98互換機として広く普及した。一時期は、NECに次いで2位の市場シェアを獲得したこともある。ただし、NECはPC-98の使用を公開したわけではないので、著作権侵害などの争いが絶えることはなかった。シャープも「MZ」の一部の機種でPC-98互換機を発売したことがあったが、こうした争いに嫌気が差したのか、早々に撤退している。また、PC-98互換機路線をとってきたエプソンも、Windows 95によってPC-98互換機のメリットがなくなると、すぐさま撤退してしまった。NEC自身も1997年に「PC98-NX」を発売してからPC/AT互換機路線へと転じ、2003年にはPC-98の製造を中止している。
ただし、1990年代まで数多く採用されてきたPC-98の資産を今なお使い続けているユーザーは多く、その後もエルミック・ウェスコムの「iNHERITOR」(2008年9月に出荷中止)、ロムウィンの「98Base」といった互換機が製造・販売されている。
もう一つ、1994年から1997年までのわずか3年間という短い期間だけ製造されていた互換機がある。アップル「Macintosh」の互換機だ。
アップルは、PCとの市場争いに敗戦濃厚となった1994年、Mac OSを他社にライセンス供給して互換機ビジネスを進め、市場拡大を狙う方針に転換した。この施策を受け、米国のモトローラ、パワーコンピューティング、ラディウスなどの各社が相次いでMac互換機を発売。日本では、台湾UMAXの低価格互換機が話題になったほか、アキア(カシオ傘下を経て消滅)や、意外なことにパイオニアが、高品質なスピーカーをウリにMac互換機ビジネスを展開していた。
しかし1997年、アップルに創業者のスティーブ・ジョブズが復帰すると、突如として互換機ビジネスを中断。互換機最大手だったパワーコンピューティングも、アップルに買収されてしまい、終焉を迎えた。
その後、アップルはインテルのプロセッサへとプラットフォームを移行し、現在はMac OSを引き続き主力に置きつつも、Windowsも稼働するコンピュータとしてアピールしている。 (2008.12.8/ITmediaエンタープライズ)


